はじめたきっかけ。
こんにちは!
ひよっこライターの tomaco. (@tomaaaco_016) です。
今日は…ライターをはじめてきっかけについて、書きたいと思います。
LOCALIさんにて、新着アップです!
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きっかけはクラウドワークス
まず中学生の頃、ファッションやお化粧をしている女性がだいすきで
よくZipperやCUTiE、seventeen等のティーン雑誌をよく見ていました。
雑誌編集者になりたくて勉強をして、広告代理店でお仕事していたこともありました。
中学生の頃はとくにネットサービスにはまっていましたね。
ポイントサイトをはじめた時期もこの頃です。
でも在宅ワークでライター登録したのは、2016年の冬。つい最近です。
『キュレーションサイト』いわゆる、まとめサイトを知ったのもこの頃。
地方組のわたしにとって主要都市に出なくてもできることはあるんだと思い
まずは登録からはじめてみよう(無料だし♡笑)という感じで。
はじめたのがきっかけです。
◆クラウドワークス◆
過去の自分が今を作っている
中学2年生のときに私は自分の外見が大嫌いで保健室登校をしていました。
普通に生活を送っていたのですが、男の子からふと外見のことを言われた日から
気にしたことのなかった自分の顔を鏡で見て、大嫌いになりました。
好きな男の子でもなかったし、外見を言われても何とも思っていなかったのですが
何故だかすごく外に出るのが恥ずかしかった。
授業を受けない私を見て、まじめな母親は特にショックを受けていました。
たくさん泣かせました。父親は全く態度に変化は…なかったかな?うる覚え。
兄が2人いますが、長男兄はひどいいじめにあっていたので
「お前はあまい。本当のいじめはそんなもんじゃない」と比べられてましたね。
でも、不登校になる子=いじめ、とは限らないんだよって中学生ながらにも
一生懸命訴えていたのを覚えています。
不登校の間、たくさんの本や雑誌を読んだことをきっかけに
文章や写真を通して、読み手に伝える仕事をしたいと思うようになりました。
1年間保健室登校を続けましたが、この1年間は今でも大切な思い出です。
家族との関係
保健室登校を続けて1年経ち、中学3年に上がったときには教室で授業を受けました。
1日だけ風邪でおやすみしましたが、それ以外は全て学校に通いました。
初日の教室の扉の重さは、今も覚えています。すごく緊張したしすごく重かった。
お母さんとはしばらく重たい空気もあったけれど、一番支えてくれてた存在です。
今では不登校のはなしも笑顔で話せる。ありがとうね。本当に。
父親はというと私が社会人1年目(19歳)のとき、くも膜下出血で倒れ
一度は生死を彷徨ったけども頑張り抜いて後遺症はあるけども元気です。
でも、父親が生死を彷徨っているとき知ったことがあります。
私が不登校のとき教育委員会に色んな抗議をしてくれていたこと。
きっとあの環境にいれたことは家族の支えがあったからなんだなと感じました。
同時にたくさんの人に迷惑をかけたんだなとも思えました。
今でも自由人な私ですが、とても家族関係は良好です。
なんか真面目な話になった気がする…(゚・゚*)
普段はただのすまっぷばかです。笑
今日はここまで。また次回の更新をお楽しみに!
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